2008年07月19日
最近の新聞記事で一番…
たまった新聞記事の切り抜きを整理した。
気になる本の書評、クラシエ(旧・カネボウ)の株売却難航、プランナーズスクール…etc。
でも、一番共感したのは
「ノーベル賞有力候補 戸塚洋二さん死去」
の記事だった。この記事で初めてお名前を知ったが、生き方が飛びぬけている。
20世紀の物理学は、宇宙を構成する最も基本的な粒子の発見にかけた時代だった。原子の中心に原子核があり、その原子核をつくる陽子や中性子が発見され、さらにそれらはクォークで構成されていることもわかった。「質量と電気量」について、それぞれの粒子の素性が明らかにされていく中、ニュートリノだけは、質量があるのかないのかわからなかった。
「ニュートリノに質量あり」
そう声高らかに証明したのが戸塚さんだった。これまでの常識を覆したのである。
私は物理に関する知識は皆無だが、この人の生き方にすごく興味がある。
戸塚さんをこの世界に引き上げたのは、ご存知小柴昌俊氏。
<小さいときは、成績は悪く、人付き合いも苦手だったため、企業で働く自分が想像できなかった。それが研究者の道を選んだ理由だった。恩師の小柴昌俊・東京大特別栄誉教授(81)は愛弟子の悲報に、非常にショックを受けた様子で、「取材は受けたくない」と言っているという。また、戸塚さんが元気だったころ、「戸塚君は大学院入試の筆記試験は合格点に達しなかった。しかし、面接で新しいことをやろうという意欲が見えたので私が引き上げた。研究者に必要なのは既存の知識ではなく意欲だ」と振り返っていた。>毎日jpより
http://mainichi.jp/select/today/news/20080710k0000e040068000c.html
最初から勝ち組の人生ではなかった。
そんな戸塚さんの才能を、小柴教授はちゃんと見抜いていたのだ。
これって分野を超えて、生きる私たちにすごく勇気をくれませんか?
社会一般の定規で測るのではなく、その人のポテンシャルを感じる審美眼をお持ちだった小柴教授。科学者としても、人間としても、教育者としても尊敬に値します。(大分あたりのニュースが脳裏を横切ったりもします)
苦手なことがあってもいい。どんどん得意な分野で勝負していきたい。
若い人たちにそう感じさせる人生のストーリーを持っていると思う。
その一方で、小柴教授の心痛をお察しいたします。
〈小柴昌俊・東京大特別栄誉教授の話〉 発売されたばかりの雑誌に彼が闘病について語った対談記事がある。その感想を彼に電子メールで送った。その5分後に死去の連絡を受けた。弟子を失うのは、親が子どもに先立たれるのと同じ。こんなにつらいことはない。 (asahi.comより)
http://www.asahi.com/obituaries/update/0710/TKY200807100130.html
「何事もデータでモノを言う」姿勢をつらぬいた戸塚さんは、自身を死に至らしめたがんの症状も、データとして自身のブログに記録していました。こちらもまだ閲覧できるようです。
http://fewmonths.exblog.jp/
気になる本の書評、クラシエ(旧・カネボウ)の株売却難航、プランナーズスクール…etc。
でも、一番共感したのは
「ノーベル賞有力候補 戸塚洋二さん死去」
の記事だった。この記事で初めてお名前を知ったが、生き方が飛びぬけている。
20世紀の物理学は、宇宙を構成する最も基本的な粒子の発見にかけた時代だった。原子の中心に原子核があり、その原子核をつくる陽子や中性子が発見され、さらにそれらはクォークで構成されていることもわかった。「質量と電気量」について、それぞれの粒子の素性が明らかにされていく中、ニュートリノだけは、質量があるのかないのかわからなかった。
「ニュートリノに質量あり」
そう声高らかに証明したのが戸塚さんだった。これまでの常識を覆したのである。
私は物理に関する知識は皆無だが、この人の生き方にすごく興味がある。
戸塚さんをこの世界に引き上げたのは、ご存知小柴昌俊氏。
<小さいときは、成績は悪く、人付き合いも苦手だったため、企業で働く自分が想像できなかった。それが研究者の道を選んだ理由だった。恩師の小柴昌俊・東京大特別栄誉教授(81)は愛弟子の悲報に、非常にショックを受けた様子で、「取材は受けたくない」と言っているという。また、戸塚さんが元気だったころ、「戸塚君は大学院入試の筆記試験は合格点に達しなかった。しかし、面接で新しいことをやろうという意欲が見えたので私が引き上げた。研究者に必要なのは既存の知識ではなく意欲だ」と振り返っていた。>毎日jpより
http://mainichi.jp/select/today/news/20080710k0000e040068000c.html
最初から勝ち組の人生ではなかった。
そんな戸塚さんの才能を、小柴教授はちゃんと見抜いていたのだ。
これって分野を超えて、生きる私たちにすごく勇気をくれませんか?
社会一般の定規で測るのではなく、その人のポテンシャルを感じる審美眼をお持ちだった小柴教授。科学者としても、人間としても、教育者としても尊敬に値します。(大分あたりのニュースが脳裏を横切ったりもします)
苦手なことがあってもいい。どんどん得意な分野で勝負していきたい。
若い人たちにそう感じさせる人生のストーリーを持っていると思う。
その一方で、小柴教授の心痛をお察しいたします。
〈小柴昌俊・東京大特別栄誉教授の話〉 発売されたばかりの雑誌に彼が闘病について語った対談記事がある。その感想を彼に電子メールで送った。その5分後に死去の連絡を受けた。弟子を失うのは、親が子どもに先立たれるのと同じ。こんなにつらいことはない。 (asahi.comより)
http://www.asahi.com/obituaries/update/0710/TKY200807100130.html
「何事もデータでモノを言う」姿勢をつらぬいた戸塚さんは、自身を死に至らしめたがんの症状も、データとして自身のブログに記録していました。こちらもまだ閲覧できるようです。
http://fewmonths.exblog.jp/
Posted by コアル at 16:38│Comments(0)
│私の一番シリーズ
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